色気より食い気。

講習終えて。

http://instagram.com/p/be3T6UM2oF/
朝ごはん(◎ω◎)

一夜、明けて。

泥のように、ぼろ雑巾のように眠っていました。
9時半から5時半まで寝ておりました。

おかげ様で土曜から火曜まで、“おべんたう”は休みです。

幸い過ぎです。

毎日、毎朝これにかけてるっていうくらい“おべんたう生活”は自分に密着していたのに。
今日明日が、お嬢の振替休業日で心よりよかった。


一昨日昨日は日本舞踊花柳流の東北支部の講習会、
全国規模の流儀の組織の一翼となっている東北六県から「花柳流」のお名前を許される、
100数十人が一同に会し課題となる曲や試験曲の団体稽古に臨みます。

支部の役員先生は元より本部から研修部担当の先生方が、お越しくださいます。

合わせて支部の総会も兼ね、さらに初日の夜は支部会員同士の親睦を深める懇親会も行われ。
会場となるのは東北各地の温泉地、温泉につかって疲れを癒しながらの2日間。

講習で踊っている(稽古していただいている)時間より、
ハンドルを握っている時間の方が長いという過酷さもあるため。

当初、福島県(磐梯熱海温泉)での開催と知ったときは欠席しようかと思っていました。

ところが本部から理事の先生がお見えになって、
なにやらお達しがあるとのことだったため。

師匠命で急きょ参加に転向。

師匠は、お嬢の文化祭参加のために留守隊でした。

受講して思う。

花柳流のお名前を許されて27年ともなり、
東北講習会もかなりの回数出席させていただいていますが。

今回は、その中で最も手応えの感じられる2日間でした。

ある意味、自分の今後の方向性が定まったというのか・・・。

この先も踊り続けられる限り、
そして弟妹弟子や愛弟子を育成し続けるからには。

必ず属さなければならない組織、
選ぶ選ばないの選択が任意ではない組織。

その方向が、この先どのように変わっても。
自分は、どちらに向かうのか。
どこに従い、ついて行こうと思うのか。
それが、ハッキリした講習だったので。

あまり気乗りしないところもありましたが出席してよかった。

受付のお役もいただき同じ県のみならず他県の方ともご一緒させていただき、
また同輩や人生の先輩(序列は名取となった年で決まるのでわたしの方が早くはあります)と、
これからについて深く会話を持ったり。

同室だった方と夜遅くまで懇談したり、
たくさんの方の踊りぶりを見て勉強したり。

講師の先生方の熱意に涙したり、
さまざま自分の血肉になることがありました。

正直、組織という存在には苦手意識もあり。
できる限り自由な立場でいたいとは常々思うところですが、
これを生業にしている限り避けては通れないものだからこそ。

一本、揺らがない信念を持っていたいところと。
柳に風とうまく立ち回れる面と両方持っていくことが上手な生きよう、
これが長くひとつ仕事を続けていくためには必要なことなのかなと。

感じています。

嬢との会話にて。

文化祭での部門の担当や所属する書道部のパフォーマンスを無事に終えた、うちの嬢。

疲れ果てた感じで戻りのわたしの車に乗り込み、
その思いのたけをわたしにぶつけてきました。

パフォーマンス自体は小さなハプニングもありながら無事に終わったとのこと。

大変だったのは、その後の片付けで。
ステージ発表に他の出番のなかった嬢と、もう一人の仲間とで。
黙々とブルーシートや筆、墨やらの始末を。

そんな中、他のステージを持っていた子たちの中で。
自分の舞台が終わっても、その余韻に浸るばかりでほとんど撤収の力にならなかったメンバーもいたと。

たぶん1時間も筆を洗い続けているうちに、
パフォーマンス後の高揚感もすっかり冷め。
何故、自分たちだけがこんな難儀をしているのかと。
すこし気分が落ちたかもしれません。

ただ、そういうことは常にどこにでもつきまとうことで。
たとえば学校時代の掃除当番でも、やる子とやらない子が必ずいて。
それは大抵いつも決まったパターンで、
やる子はどの場面でもせざるを得なくなり。

やらない子は要領よく、そういう場面を回避し続けて。

大人になっても、その方向性はほとんど変化しないそうです。

それを不公平、不平等だと思うのも誰しも同じ。
だからといって、やるタイプの人間には「やらない」選択をすることは無理に近い。
それは良くも悪くも自分が自分で決めて選んでしていることだから。


ものを表現する場合その表現するものに掛ける時間は、
その前後に掛かる時間やまつわるあれこれに費やす時間から比べれば。
あまりにも短く、はじまれば一瞬にして終わってしまうようなもの。

そのものを表現するだけを、その時間を思って取り組んでいる人も。
中には必ず存在するけれど、
それはあまりにも薄いような気がします。

人の考えはさまざまなので妨げることはできないのですが、
そのものだけ物の面の表や光の当たっている部分しか見ていない人と。

裏や陰を知り、その部分に時間を使うことができる人とでは。

表現されたものに出る奥行きが深みが違ってくると、
そういうことは時間や年齢を経ないと感じられないことですが。

ちょっと自分と周囲を比べて悔しく思ってしまう、
その気持ちが表現者の感受性も養うと確信しているから。

昨日の嬢が味わった感情は、きっと彼女の表現の糧になる。

書も日舞もダンスも、
うまいへただけでは評せないものがある。

人の心をつかむのはテクニックや上塗りされた表現力ではなくて、
にじみ出る内面だと思うので。

唇をかむような思いを、たくさんした方がいい。


今まで何度も何度も悔しく泣いて憤り、それでも諦めずここまで来たのは。

やはり自分が日本舞踊を好きだという気持ちと伝えたい思いが、そこにあるから。

自分の中に一本、通っている芯をより深くして終えた今回の講習会。


お嬢の文化祭も合わせて、かけがえのない2日間でした。

この2日は、まちがいなく自分たちの財産になる。


回り道して、つまづいて転んでそれでも立ち上がって何度も何度も。
やり直しやり続けてきたことの大きさと重さ。

積み重ねてきた手応えと実感。

これらを自分の揺るぎないものとして、
また気持ち新たに精進の日々を過ごそうと思いました。


・・・と、それはそれとして。

副業の締め切りが容赦なく迫っているので、
ここ3日ほどは言葉の洪水に溺れます。

これも容赦のない現実ということで。

いずれはレシピ本でも書籍化してやr
高師直。