色気より食い気。

禁断の恋。

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禁断の恋と禁門の変は、ちょっと字面が似ているがだいぶ状況は違う。

1864年、長州藩[ちょうしゅうはん]が不利になった形勢を立て直すために京都に攻めこんだのですが、
京都を守る役であった会津藩松平容保[まつだいらかたもり]の軍に負けた事件のことを言います。禁門の変[きんもんのへん]とも言います。


いわゆるところの『蛤御門の変』の解説です。
引用したのは防府市歴史用語集ですが、これが自分には一番易しくわかりやすく解説されていました。



昨日のエントリーを書くキッカケになったチーム裏日本(w)のリーダー、笑蔵さんのそれに対するコメントを読んで。
膝を打ちました。

笑蔵::エムゾー (id:mzo)

スッキリ!
自分でも調べてみた
「変」=成功したクーデター
「乱」=失敗したクーデター
上が略奪婚で、下が慰謝料とwww

そう!
変は変わって終わり、乱は乱れて終わるって感じです!!

「本能寺の変」も「桜田門外の変」も主たる人が死して状況が変化している。

承久の乱」は後鳥羽上皇鎌倉幕府に対して討幕の兵を挙げて敗れた。
応仁の乱」は東と西が戦って、ごっちゃごちゃになって終わった・・・。

東と西が、ごちゃごちゃになって終わると書くとまるで「アイドル水泳大会」の様相です(ぽろりあり)。

応仁の乱は結果的に東軍勝利っていうことになっているようですが、
実際のところは都に壊滅的な被害を与えて(乱して)終わっているのでやっぱり変ではなく乱なんでしょうか。

しかし、この乱を機に戦国時代に突入する引き金となっていくようなので結果的には変といえなくもないかもしれません。


そう考えていくと「〜変」と「〜乱」の用い方の区別は、あいまいであり微妙であるようです。

実際、「承久の乱」に関すれば「〜乱」表記が一般的だったものが途中、
「〜変」表記に変わった経緯があるようです。

さらに大正時代になると、政府は皇国史観の立場から「承久の変」の表記を積極的に使わせるようになり、
国定教科書でも大正9年(1920年)版『尋常小学国史』から「変」表記になった。
これは、上皇が「反乱」を起こすはずがないという思想的立場を優先させたものである。


大人の事情ですね(ばっさり)。


自分の中で腑に落ちる解釈をするとすれば。

大和田常務が頭取(思えば中野渡頭取)を失脚させていれば「東京中央銀行の変」。

結果的には大和田常務が降格人事となって終わったので「大和田の乱」。

※あくまでイメージです。


ミッチーが(半沢直樹の同期:渡真利 忍)が半沢直樹を、いきなりの裏切り行為に出れば。
「渡真利事変」。


抜き打ちの金融庁検査は「金融庁寇」といえそうですが、
敵はそのような手段を講じてくることが予想に難くないので「〜寇」とはいえないか。

お嬢にいわせれば「金融庁襲来」でいいじゃない、、、うんそれしっくりくるね。


花が直樹に唐突に三行半を突きつけたなら、それは「半沢事変」といえるかと。


銀行、夫人間の牽制は紛れもなく「奥様会の役」。


ドラマ前半の大坂西支店長、浅野V半沢は合戦の様相を帯びていたし。

西大阪スチール事故の関係者、藤沢 未樹が東田を出し抜いたのは「檀蜜戦争」でしょうか。
(女の色気を武器にして戦ったんですね)



檀蜜でいったら「檀蜜の乱」って、なんかいいですよね(えへら)。


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本文にはなんら関係のないイメージ画像ですが。
門内・門外で、ありとあらゆる争乱が起こっていたんだろうな、と何だかしみじみしてしまいました。

いずれはレシピ本でも書籍化してやr
高師直。