色気より食い気。

【考える】はぐくむ。

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はぐくむ、って言葉が好きですよ。

子どもも愛弟子や妹弟子も植物や生き物も。
人間関係も育んでいくのが好きですよ。

3 大事に守って発展させる。

  1. 親鳥がひなを羽で包んで育てる。「ひなを―・む」
  2. 養い育てる。「大自然に―・まれる」

ちなみに、はぐくむの1と2の意味はこういったものです。


ところで育てると育むとは意味が違うのかと考え調べてみました。

1 手間をかけて養い成長させる。養育する。
2 能力などが伸びるように教え導く。
3 手を掛けてやったり、教え鍛えたりして、一人前として通用するまでにする。
4 手なずける。おだてる。そそのかす。


似ていると思うし同義といえるかもしれないけど、ちょっとニュアンスが違うんですよね。

特に、わたしの思うのはそれぞれの「3」の意味合い。

育むの「3」は大事に守ってがポイントで、育てるの「3」は教え鍛えたりしてがキモ。

この違いが自分を大いに納得させたのは、わが師ことボスと自分の指導の違いでした。

指導とは。

指導とは教え導くことの意味なんですけど。

知識・学問・技能などを相手に身につけさせるよう導く。教育する。教授する。

教えるが上の意味です。では導くは。

1 道案内をする。案内して目的の所に連れていく。
2 正しい方向に手引きをする。指導する。
3 物事がそうなるように働きかける。事柄をある方向へ動かす。

となるそうです。

指導者としての師匠は「教える」タイプですね。まさに。

でも教えるの意味に導くという言葉があるので矛盾するんですが追求しないでいただいて(願)。
雰囲気としては手なり足なりとって引っ張っていく、という感じです。
グイグイ系ですね。師匠が先を走ります。

それに、ついていこうとして必死に追い掛けます。
離されます(当然。技量やキャリアが違い過ぎ。)転びます。
形相(オニとはいいません・・・それに近いけど・・・)で戻ってきます。
むんずと掴んで引きずっていきます。

泣きます。嘆きます。たまに反論するかもしれない。

「だったら止めればいい」

このセリフの中に「(止めたらどうなるかわかってるんだろうねぇ=絶縁とか)」的な含みを。
感じ取るのは、わたしだけではなかったようです・・・。

絶縁とは大げさにしても、なにやら面倒なことになると察し。
ならば黙って我慢したほうがいいと思ってしまうのは、どうやら母と娘に共通しているようです。

これ「獅子の子落とし」に似ていると思うんですけど、
これが師匠の親心なんですよね。

子ども(=弟子)の先行きを考えて、できる限り困ることが少ないように。
いろいろな場面に対応できるように、スキルを磨かせて武器を持たせようとする。

愛情です。その愛が深く重いこともある。

実際には、わたしはその師匠の厳しい教えがあったからこそ。
曲がりなりにも、この道を歩んでいけるのだと日々感謝はしております。

ただ自分と、その子はタイプが違うので。
師匠が芸道上では妹にあたる我が子に稽古つけている場面を垣間見ると、
うちのお嬢にはこの指導は結構キツいだろうなぁ・・・と内心溜め息が出ます。

・・・親バカですかね・・・。

導くというか見守るというか、やっぱり育むか。

ちょいちょい登場する我が娘、通称お嬢は我が子ながら素直な子です。

良い面も悪い面もあると思ってます・・・素直で何が悪いか、と問われそうですが。
素直過ぎるのも混沌とした社会を生き残っていけるのか、
この殺伐とした現代を渡っていけるのか。
不安に感じることもあります。

だったら尚更、ボス流のグイグイや獅子の子落としで鍛え上げ育てなきゃだめなんじゃないかと。
言われそうなんですが、そこがちょっと違う気がするんです。

わたしと、お嬢は全くタイプが違うから。

これを時代のせいにはしたくはないけれど、すこしは感じる昭和と平成のギャップ。
でも今は平成の世なんです。
こういう子が増えていれば、それが時代なんじゃないだろうか。

それに関して、まったく近頃の若いもんはと言う気もないです。
自分たちにはない魅力とか武器があると思うから。

お嬢も、わたしにはないものを沢山持っていて。
それを引き出してやるのが親であり指導者の努めかな、と感じています。

お嬢が思ったように踊れないのは我々の指導が不足だったり方向性が違うのでは、と。
常に試行錯誤もし、お嬢にも何を抱えているのか問うたりしています。

歩む道で転んだら一緒に転んで、「で?どうしたのよ??」と訊ねている自分は。
師匠から見れば単に、サボけている親にしか見えないんでしょうねぇ。


昨日も、そんなお嬢が一週間後に立つ内輪の舞台のことで意見の不一致がありまして。

わたしは一朝一夕には成長しないと、いま言って今できるならもう既にできていると。
言うわけなんですが、できないなら止めちまえと。

そうなると、お弟子さんは誰もいないことになっちまいます・・・(自分含め)。

でも師匠も愛弟子さんたちには寛容なところもあって、
ずいぶん許容できるようになったらしいんです。

これは身内だからこその深い深過ぎる愛情なんだと、わかってはいるんです理屈では。

それを、お嬢を頭ごなしに叱るっていうことでは。
解決しないとも思ってます。

実際に、できるようになっていないもん。


どうしたらいいんだろうかね?

これだ!っていう方策は簡単には見つからないんだけれどだからこそ、

より時間をかけて大切に育んでいきたいと思っているのです。


やっぱり物事って時間のかけようだと思うんです。積み重ねも、それに含まれるけど。

指導者は気が長くないと務まりませんわい。

その分、育んだ結果が見られることが最高の喜びでする。


育むって時間のかかることだけれど、
そのぶん長く成長の過程も含めて見守れるから楽しいです。

わたしは、お嬢が好い表現者になれる素養があると思っています。

どう動いたらいいか、わからないことが多いんだと思います。

それを解決するのは結局、稽古なんですよね。

(結果的には師匠も自分も同じこと言ってます)

いずれはレシピ本でも書籍化してやr
高師直。