色気より食い気。

【ブログ】どうでもいい人の書くどうでもいい日記。

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日記を書き始めたのは小学校1年生です。
今も自室のクローゼットの上部奥に、
たぶん黒い猫のダンボール箱あたりに入れられて埃をかぶっているはずです。
(我が事なのにとても曖昧)

一応、大事なものの片隅に含まれたらしく。
高校2年生の引っ越しの際に今の家に持ち込まれました。
しかし、その割に手繰って読まれた機会は皆無なはず。

覚えているのは日記事始めの日(小学1年生のとある日)、

あさおきてごはんをたべておふろに入ってねました。

的な内容から始まる最初のページ(それ以下でもそれ以上でもなく)。

大人達にさんざん笑われて、それからおやつにプリンをたべておいしかったです、
などか書き加えられるようになりました(その頃から食べる話が9割)。

その程度が学年上がるにつれて、ちょっとだけ内容がふくらんで。
といっても根本は変わらず、
どこか特別なところに連れて行ってもらえばそれを書き(今日は動物園に行きました)。

ペンギンがかわいかったです、とか素直な気持ちで盛り込み。
ぶつだんにおまいりしたと、うそをついておこられましたとか書き。

母親に赤ペンで「うそをつくのはよくないことです」とか書かれ、
ご飯食べて忘れた気分がよみがえってションボリしたり。

そんなことを繰り返し書き続けていました。
それが小学校時代は、ずっと続いたと思います(たぶん)。


中学校に入ったら交換日記を必ずのようにして決まったようにモメ、
もう書かないと誓ったはずなのに高校でも同様のことをし成長なく女3人でトラブる。

そんな、ありきたりの経験もしました。
その頃は既に家で自分の日記帳に日々を綴ることはしませんでした、
たぶん単に面倒だったから。

周囲にマメに日記や手帳を書き留める女子が必ずいて、
えらいなぁ立派だなぁそんなに書くこと毎日あるのかなと思っていました。

だって自分は朝起きて学校に行き整容検査で先公とモメ、
部活のことで先輩とトラブり帰ってご飯食べてお風呂入って寝ました。

みたいな生活を繰り返していたから、
そんなこともう何回も書いたよ!っていうのが自分の日常だったから?


ネットという波でサーフィンするようになって、
ブログというツール??が一般人も利用できるようになって。
もう10年以上も、あっちやこっちで日々駄文綴してきましたが。

そこに書くことの意味とか意義とかを見出したことはありません。

何のために書いているんだろうと自問自答したことは人並みにあるけど書きたいから書くと結論が出る。

何のために他所様のブログを読んでいるんだろうと自問自答したことないのは、
それは読みたいから読んでいるのであって。

読みたくなくなれば読まなければいいこと。


以前、自分が地元産のモデルのとある番組の起用について。
嫌いだし(起用も)違和感がある、と書いたら。
地元民として失格めいたことを書かれ、
そういう「嫌い」っていうことこそ盛り上がれるのに。
そういうことをキッパリ書けないのは不便よねぇと思いつつも、
「好きじゃない」という表現で少し和らげたりしつつ。

書きたいことは概ね書きたいように書いてこれたと思います。

読む人が読みたくなくなるような内容を書く人間が悪い、といわれ。
妙なことをいう人だなぁ。
読む読まないは読み手の側に選択肢があって、
いやなら読まなきゃいいのに。
それでも読むっていうのは実は、わたしのファン様ですか?と思ったこともある。

そんな不特定多数の読み手側の方のことを慮って書くことはないし、
そんなことを考えていたら指が一つも進みません。


もし、このブログのサービスが利用者数限定で。
アクセス数なりブックマーク数の多さで決められていくとしたら、
たぶん限定の枠には入れないけど。(そんなサービスなら利用したくないです)

そうでない限りは、そういうことを気にせず書きたいし。
そういうことを気に留めた、としても忘れちゃうような方あるいは気にしない方の。
普通の日常の、ひとこまが読みたいです。

それと、その方がブログをやってもいないというような方にも。
こんなことあったよ?こんなもの食べたよ!こんなものしか食べてないけど?
そんな小学生時代の発端と、ほとんど変わらないような。

どうでもいいことが、どうでもいい自分の暮らしだから。

それを読んでもらって、
それで読んでもらうだけでいい。

書きたいことを書かせてもらうだけでいいし。
読みたいものを読ませてもらうだけでいいし。
読んでもらえるだけでいいし、

スターとかコメントは、それに付帯するオプションサービスみたいなもので。
それが肝でもない。


意識が高いとか階層が上だとか、
そういうレベルの違う方の存在もあるのねって知ることは知るけど。

自分とは暮らしぶりが違う方達で、

そういう方達は正しいブログとかブログの意義とかを語ればいいと思う。

それが(その方たちにとっては)正しくで、

他者の飯の話や写真など誰が読みたいか!と。

その中の方達には議論の対象になるかもしれないけれど、

うちら庶民には食う寝る遊ぶ+仕事と、それにまつわるエトセトラ。

それが日常だから、それを書くしそれを読む。

そんなそんな「きちんとしたこと」「他者に何かを与えられること」「影響をもたらすこと」、
なんて起こりませんでしょ。書けませんでしょう。


我々ブログを書く人らが、みんなこんな高い意識のブログを投稿するようになったら。

ありがたみなんて半減以下ですよねぇ、きっと。


以上どうでもいい人がどうでもいいことを2000文字以上も使って書きました。おしまい。

そして自分が読みたい先の多くの方を自分と同じにくくってしまって、ごめんなちゃい。
(反省する気あんのかいw)

いずれはレシピ本でも書籍化してやr
高師直。