色気より食い気。

【子育て】ぼしこう。

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ならやまぶしこう


彼女の名誉のために。

彼女というのは、うちのお嬢さんで。その本人のせいではないことを記しておくが。

彼女、生まれる前から生まれてのち、それからしばらくしてからも。
あれやこれやと、あった人なので。

わたしにとっては「かわいい存在」とか「生まれてきてくれてありがとう」とか、そういう風に思えたことがない。

今でこそ、そんなあれこれがなかったように。
町内のタワー、ランドマークといわれるくらい健やかに成長したものの。

病める時が、かなり多かったのだ。


胎内に存在した頃、師匠の稽古場はまだバブルの余力を残していたので。
かなり大規模な発表会が開催できていた(終焉に近かったけど)ため、
わたしは身重の身ではあったが軽やかに稽古を続けていた。

予定日は2月3日だったので、12月までは全て稽古に立ち。
いよいよ年を越す支度を、と思った27日に腹の痛みで産科に駆け込む。

どうやらハードに動き過ぎたらしく彼女は半分この世に落ちかかっていて、
出産を甘く見ていると担当医にどれだけ叱られたことか。

訳わからず即入院となり年越しも正月もベッドの上で過ごした、いわゆる切迫早産である。

それ以前に同居→入籍→式および披露宴の順序で同居の段階(スタート地点)で、
この結婚は数年で破綻すると本人は気づいてしまっていた。

結婚太りは一般的だが結婚痩せは見るに痛々しく周囲に病気説まで流れる始末。

新婚旅行からひと月半ほどで妊娠が判明したが、
そこからは「つわり地獄」に陥り好きな物食べて吐けばいいんだという摂食障害めいた日々が続いた。

そんな苦しみから、ひととき逃れられるのが踊っている時間だったため。
いつもより熱心に稽古に励んだと思う・・・結果、絶対安静を言い渡され。

十ヶ月に入るまで入院生活を余儀なくされ退院後5日で出産のため産院に舞い戻り、
お嬢は予定より2週間以上も早く世に出た。


その後、3週間ばかりで三途の川の渡し守に会ったような会わないような、
死の淵とはいわないまでも命が危ないかもという目に遭い(お嬢さんが)。
保育器に入ることになり、それが原因で斜視が起こった。

3歳検診で判明し、そんな小さいうちから分厚い眼鏡を掛けさせられて。
お嬢も辛かったろうし、よく耐え忍んだが。

わたしも周囲から可哀想だと言われる度に、トイレで隠れて何度泣いたか。


ザッと書き上げてもこれくらいのことがあって、
だからより子を慈しみ大切に思う気持ちは増し増しになりそうなものだが。

そこいら辺が自分の心根の問題なのか。

愛おしくて、たまらなくかわいいなどと感じたことがない。
感じたことがないというか、そんな風にしみじみしている暇がなかった。


ただヨチヨチとか片言を発するようになった頃から、
得体の知れない物体が少しずつ人に近づいていく様を間近で眺めていて。

この者はいずれ、わたしの手となり足となるものだから。
わたしの手助けになるように(都合よく)育成しなければね、と思うところがあって。

それと親としては、どんな子であっても社会に出て行けるように支度してやるのが勤めだから。
出て、できるだけ困らないように身に着けさせてやらないとねとは思っていた。

そのため集中力を養うために食事時間は食べることに専念とか、
長く机に向かっていられるように折り紙をさせたり。
挨拶なんて、ずいぶんうるさく教えたと思うし。
あちこちに連れ歩いたりして、いろんな人と環境に触れさせるようにした。

買い物にも連れ歩き、お使いが早いうちから(小学校に入学する頃)できるようになった。

その代わり読み書き算盤(計算の意味です)は学校で教わるものだから、と。
一切、名前すら保育所通いのうちは教えなかったし。
読み聞かせなんて丁寧なこともしなかったし。
幼児教育には興味がなかったし車の中では、わたしの聴きたい曲しか聴かなかったけど。

とりあえずの学業と人並みの感受性には問題のない程度には育ったので、
あながち間違った選択はしなかったのだと思っている。


ここんちの母子考。

しかし自分は産みこそしたから名義上は母親なんだろうけど、
自分を母親だという認識が欠落していたので。

訊ねられなければ人にも子どもがいるとも言わなかったせいか、
しばらく子持ちには思われなかった。

集っても子どもの話はしなかったし、それしかないのはつまらないなぁと思っていた。

友人も大方が知らなかったようで、いつの間にか小学生にもなる子がいると判明して驚かれたり。
年賀状にも、まったく写真なりを載せないので。

「のも(わたしの呼称)の子どもって見せられないくらい可愛くない子なの??」

と問われて爆笑したこともある。


お母さんと呼ばれていない、とかそういうのはどうでもいいのだけど。

根本的な母親という意識が欠落しているのは、なぜなのかしらと我ながら不思議だが。

強いて挙げるなら当たり前のお母さんという存在と比べ、わたしには小言がほとんどない。

言われて嫌なことは言いたくないのと。
小言は自分にとって、どうでもいい小事だから気にも留めていないんだと思う。

お嬢さん本人に聞くと、やはり母親という認識はほぼないそうだ。

どちらかといえば父親に近いそうだが、それ以上に母子っていうより人間対人間だと思う。


人付き合いは子どもも含めて人と人で、
齢とか性別とか国とかあんまりそういうこと考えないし気にしない。


日本人離れしてるよね、とお嬢さんにはいつも呆れられています。


目に入れても痛くないと思える存在が子とか孫だといわれるけれど、
入れたら痛いって以前に入れようとも思わないし第一入らんだろう。

子どもの頃の思い出は自分の中にセピア調で納まっている程度で、
撮った映像がなければ写真もごくごく少ない。

そういうのって荷物になると思うし、いろいろな行事は自分の目を通して見届けたかった。

そうやって16歳だっけ?(ぉぃ)まで共に暮らしてきて、
そろそろ自分の養育者としての責務は果たすなぁ?と感じている。

いや一生、親は親であり子は親の上には上がれないのでざまあみろ
一生どころか死後も脈々と続く上下関係に変わりはないが。

お嬢さんが大人になったら(社会に出たら)今度こそ、ほんまもんの人間関係が築けそうで。

わたしは楽しみだ、それはきっと彼女も同じに違いない。

ただし一つだけ言っておくとする(私信)

優柔不断な貴女のことだからA君とB君と、どっちを選べばいいと思う??
という局面になった時。

わたしに判断を委ねないでくれないか。

なにしろ、わたしと貴女では趣味嗜好が全く違うのだから。
どっちもわたしの好みじゃないと斬って捨てるに違いないから。

成宮寛貴と生田斗真と三浦翔平と亀梨和也の中で、どれか選べったって絶対に選べないからね。

まったく絵に描いたようなイケメン好きな女だよ・・・

男は見た目で選ぶとたいてい失敗すry

いずれはレシピ本でも書籍化してやr
高師直。