色気より食い気。

【舞台】表と裏そして焼き枝豆ふたたび。

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公演終えて思うこと。

15(日)に国民文化祭の前年度イベント(秋田市管轄)が無事に終演しました。

今回は所属している日本舞踊協会秋田県支部の会員として、ではなく。
事務局を担当している秋田子ども邦舞・邦楽公演実行委員会の委員として関わりました。

秋田子ども〜は、その団体名どおり出演者は幼稚園児から高校生までの子どもたちです。

わたし達は完全なる裏方でした。

1 芝居で、舞台の裏側で働く人。
大道具・小道具・衣装・音響・照明などの係、伝統芸能での囃子方(はやしかた)など。
2 表立たず、陰で実質的な仕事を引き受け、すすめる人。
3 貴人の妻の称。奥方。内室。
4 江戸時代以後、本願寺門主の夫人の称。

上記ですと“2”の役割ですね。


普段、我々は舞台人として表現者として舞台に上がらせてもらうことが主です。

自分が舞台に立つ、そんな機会をいただく場面では。
なかなか舞台の裏側のことは見えているようで見えていない、ということが多いように感じます。

それは“1”の裏側で働く、いわゆるスタッフさん達のことや。

“2”の実質的な仕事をすすめてくださる方、運営側の方のことを、
よくわかっているようで、わかっていないことが多いのではと。

自分が裏の役割を担ったときに痛感します。


それでも自分が主宰の会を持ったりすれば、“2”の役目については知らないでは済まないことが多いもの。

判断も、その大変さも身にしみて知ることができますが。

“1”のスタッフさんに対しては、どうも、いてくださって、してくださって当たり前と。
思ってしまいがちではないかと反省します。


自分が出演者となると自分の出番に向けての支度というものが発生するので、
さまざまなことに目配り気配りができないことが往々にしてあります。

どうしても自分が舞台に立つことを主に考えてしまいます。

舞台に立つ人間があるから裏で働く人に仕事がある、という考え方になってはいないかと。
振り返って自問自答します。

本来、裏の仕事に就いてくださる方があるからわたし達は舞台に上がることができる。

緞帳の上げ下ろしすら自分たちでは、しないです。
明かりの一つひとつ敷いていただく所作台一つ屏風一つにしても自分たちでは動かせません。

そういう役割を担ってくださる方があって、ようやく自分たちが舞台に上がることができる。

そんな、ごくごく当たり前のことが。
自分が出演者ではない公演の時に、これ以上ないくらい明らかにハッキリと示されるので。

こういう公演では表と裏の温度差のようなものを感じてしまうんです。


本来、自分は舞台に上がる(ことの多い)人間なので。
温度差を感じるはずの裏方の方のほうに思いが向かうというか。

舞台に上がっている方たちを見つめて自分の、そこに向かう思いの失速を覚えるというのか。

それは今回のように立ちたくても立てない(先立つ物が用意できない)ことに対する負け惜しみや、
くやしい気持ちをすり替えているだけかもしれないです。

また、スタッフさんに対する思い入れがそうさせているのかもしれません。


ふと考えが及んだこと。

裏方さん、スタッフさん方は何を発散やモチベーションとしてお仕事されているんだろうか。

我々には舞台という発散する先があります。
それは舞台に立つものだけが味わうことのできる思いなのではないか。

場当たりの間、開演の前。
公演中、舞台と舞台の転換の折せわしく動き回っている方たちを見つめて。
そんな疑問を覚えました。

この大変さを、やりがいとか満足とか手応えなどに代えるものって何なんだろう・・・。

そんなことを、スタッフさんに伺ってみたくなりました。


そしてあらためていえば自分が本当に舞台が好きなんだということ、

その舞台に対する思いは自分が立つ舞台というよりは自分と他の方たちで作り上げる、
そこに最大の魅力があること。

そう思うと、ますます自分の気持ちは舞台の表より裏に向かっていきます。

裏に、というか。
舞台の上に立って眺める景色ではなく裏や袖から眺める、その舞台という景色が。
何より自分の気持ちを沸き立たせるっていうことです。

こういう思いを抱けば抱くほど自分の立ち位置が微妙に変化していくように思います。

焼き枝豆ふたたび。

夏の豆から秋の豆へ。
今日は地産の茶豆が手に入ったので、またフライパンで焼き枝豆に。

塩揉みするように丁寧に洗い、ザルとボウルを組み合わせて上下に振って水気を取り除き。
フライパンに入れて揺すりながら焼きます。


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好い加減に焦げ目がついて、ふわっと豆の香りが立ちます。

時間は豆の量と豆の性質によって違うので、なんともお伝えしにくいです。


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こんな風に楊枝で刺しても割れないくらいに火が通ると、ちょうど好いです。

秋の豆は、ほくほくして栗の実のような味わいもあります。

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月並みですが旨いの、ひと言ですよ。



舞台に立つも立たずに携わるも、いずれにせよ。

豆で達者でないとな、そんな風に思いました。

お後がよろしいようで。

いずれはレシピ本でも書籍化してやr
高師直。