色気より食い気。

【考える】今日のおむすびとケンメイな考え。

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本日のおむすび。

*金ごまとチリメンジャコの、ふりかけ醤油おむすび。


商売の最大の楽しさは工夫です

ナガオカケンメイという人の、
ナガオカケンメイの考え』という文庫を読んでいます。

ナガオカケンメイの考え (新潮文庫)

ナガオカケンメイの考え (新潮文庫)

3年前から読んでいます。


ナガオカケンメイという方は『DEPARTMENT PROJECT』の代表。

D&DEPARTMENT PROJECT

デザインとリサイクルを融合した、このプロジェクト。
現在は日本のデザインを正しく購入できるインフラをイメージした、
「NIPPON PROJECT」 が47都道府県に展開されています。


文庫裏表紙にあるように、この氏の活動は「人」と「物」を結ぶというもの。

わたしは、この本を読んで。
人と人を物を介して結ぶ、という風にこの活動を理解しました。


なんども読んで携行して読んで。
読んで忘れて忘れて、また読みます。

実は「もの覚え」が悪いのではなく、
「ものを覚えていたくないのではないか」


と書かれているんですが覚えている必要を感じないのは、
そこに文庫があっていつでも読めるから。

そういう(時の?人の?)ために本って、あるのかもしれないと勝手に受け留めてみたりします。


ナガオカケンメイ氏はデザイナーさんですが、その氏の言葉には仕事のヒントがたくさん詰まっています。

会社とお店は「人」でできています。
ひとりひとりが輝かないと会社もお店も輝きはしない。


お世話になっているスタッフさんの、おひとりと時折メールを介して会話させてもらっています。
その内容に、その方を含めた企業努力や職人としての信念そういったものを感じます。

競合する他企業もあり、なぜその会社にお願いするのか。
なぜ別の会社ではないのか、を時折考えるのですが。
支払うお金の高が決め手ではないです。(もちろんそれが条件にならないとはいえません)

懸命さが伝わってくるから、また宜しくお願いしますと次を誓います。
もっと上手で的確なオーダーが出せるよう勉強しよう、とこちらも思えます。

集団の中にいて、集団であることへの文句をブツブツ言う行為。
これがもっとも幼稚だと思う。


自分も人間ができていないので不平不満も出なくはないんですが、
これ個人的なことならともかく。
集団の中で、こういう存在があるとその団体の士気が下がるから。
そういう場合は離れた方がいい、と思います。

前向きとかポジティブとか積極的に頑張るとか努力とか、
そういうのを言葉に出すのも口にするのも何か違うと違和感はあるものの。

向かう姿勢は、それとなんら変わらないし。
求めているものも、ほぼそれに近い。
いちいち良くも悪くも口にするのが憚られるだけ。

挑まないと「経験」というものは
手に入らない。


接する相手、求める存在は何かに自分の意志で向かっている人が望ましい。

これ年齢的なものも大きいかもしれないのですが、
まだいろいろあれこれ諦めたくないと思うんです。

先行きは不透明だし、こういうご時世だし。
将来に夢も希望も抱けない、というのもまったくその通りとは思いながら。

使い古しの表現なら「今でしょ??」

今を生きて生きた先に未来があるので、そこへはまだ目が向かないです。

見ない振りをしようとしているのかもしれないけど・・・

せっかく受けた命だから、この日この時を大事に生きていきたいと。
いつか訪れる死に向かいながら、そんなことを思います。

もう折り返し地点も過ぎたし残された時間は案外、短いものかもしれないし。

一生を悔いなく終わるなんて、ぜったい無理とは思っている。
ただ、せめて生きているなら辛い中にも面白いが。
苦しい中に楽しいが、ちょっとでも味わえたらそれがいいなぁ。

自分の人生、大したことないけど案外悪くないかもって。

もしかしたら勘違いかもしれなくても、そんな勘違いなら大いにしていた方がいい。


そんなことを、ちょっと気づかせてくれる本なんです。

立派なことも偉いことも名言も書かれてはいないけど(ってナガオカケンメイさんスミマセン)、
デザイナーなんて方も普通の感覚で暮らしたり仕事したり感動したり憤ったりしてる。

っていうことが感じられると、

いいなぁっていうより悪くないなぁって思えます。


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この。
「悪くないかも」って感じが、たぶん自分を支えてる。

世の中に「好きなの」と「嫌いなの」と、「良いの」と「悪いの」しか存在しないわけじゃないから。

決めつけない、あいまいな中に。

自分の、ちょうど好いが転がってる気がしてます。

いずれはレシピ本でも書籍化してやr
高師直。