口伝。
口伝を読む。
漢検は2級までしか合格果たしていない、
準一級は勉強して途中になっている。
一応、読みは得意な方でして(大抵の人がそうか)。
“口伝”くらいなら読めるつもりの人です。
“久遠”なら高校の校歌にあったので間違えない人。
ところで“こうでん”という読み方も認められているのです(・ ・?)
水曜夜の稽古場にて。
前出の『寝ゾウ』ネタでも話題提供してくれた愛弟子のYちゃんとJ子さん。
加えて自分と3人で、このところ山下画伯のモノマネをするのが。
2週に渡るブームになってます、
そんな話はどうでもいいんだが。
山下画伯のランシャツにリュック姿と、「ぼ、ぼ、ぼくは」のあのデフォルメ。
あれは、どこから来たのだろうという話。
J子さんが、なにやらTV番組で観たらしいのは。
ぱりっとした背広姿に身を包んだ画伯の姿。
しかもYちゃんの話によると、
『裸の大将放浪記』ドラマ放映当初、芦屋雁之助さん主演のそれでは。
山下清は上半身裸だった、というではないの。
はだかの姿で画材を背負い、おむすびを頬張りながら放浪を続ける天才画家。
ランニング着用より、よりインパクト大なり。
実際のところ。
正直、芦屋雁之助さんのドラマすらまともに観た記憶もなく。
イメージなのか振り返り特番かなにかの刷り込みで植え付けられた情報なのか。
このドラマは、あくまでも山下清という実在の人物をモデルにし、ドラマティックな展開を考慮した上で脚色されたものであり、ドラマ化に際し、実在の山下とは異なるオリジナルの設定がある。例えば、ドラマでは毎回、山下が旅先で貼り絵を作成することが決まりごとになっているが、実際の山下は放浪する際、画材道具やスケッチブックは持参しておらず、八幡学園に帰ってきた時に、旅して見てきた風景を思い出して描いていた。また、その貼り絵も自発的に作成するのではなく、施設の先生に促されてからしか作業しなかったと言う。
ドラマだからね、あくまでも。
しかし上記の引用を見たところ服装の面に脚色の要素は見てとれない。
清は「ルンペン」として扱われ、短く刈り込んだ坊主頭にランニングシャツに半ズボン、リュックに傘、スケッチブックを抱えているといういでたちである。冬には袢天を着ることもある。
八幡学園に連れ戻されたシーンでは、スーツにベレー帽といった服を着せられて、いっぱしの画家のいでたちにさせられて管理されていることを暗示している。
ランシャツ姿に半ズボンは何話からか定着したスタイルなようで、
これに関しては多少の誇張はあっても、このような服装で放浪したというのは、
あながちウソではないようにも思える。
気になるのは、「いっぱしの画家のいでたちにさせられて管理」の部分。
J子さんが何かで観た、というのはこの辺りの姿だったのかも。
・・・と、まあ自分の中にはあまりにも少ない山下清画伯ネタと。
『裸の大将』というドラマについて実際に我々が会話していたのは、ほんの数分で。
それにおいても情報っていうのは“口伝え”だと、
まちがったり歪められたりして伝わっていくんだろうね、、、
という話から。
何を思ったか、“くちづたえ”から“くちづけ”を思い起こして。
「情報を得たり学んだりするのが“くちづけ”だったら嫌だろうね」
と、ここの人が妙な発言をしちゃったもんだから。
3人の間に微妙な空気が流れたのでした。
くちづけによる授業。
生徒や学生は出席番号順に教科担任による“くちづけ”の順番を待つことになるので。
「俺そろそろ回ってきそう・・・ …( ・´ω・`)ボソッ」
先に、くちづけを済ませた仲間に様子を聞いては。
あの先生のくちづけは、こうだったとか知らされて。
ちょっと脇にイヤな汁を感じたりとか、
やっぱり耐えられなくて休んでしまう者も出たりとか。
“くちづけ”授業用のフリスクめいたもの、
くちづけ突破のノウハウ本とか。
雑誌に特集組まれたりとか、付録に付け唇とか。
出たり売られたりして、
くちづけ関連のグッズはかなりの注目度になると思う。
ていうか脳内が口から出ることはあっても、
口から入った情報が脳に入っていく過程がイマイチ想像がつきません・・・。
それ以前に、まったく想像する必要性のない内容ではありますが。
望む者も現れるのかも。
くちづけくらい減るもんじゃなし、
それで頭に入るなら俺は構わないよ!っていうより逆に望みたいよ!
っていう人間も出てきそう。
でも、わたしは個人的に。
地道且つ入れるより洩れる方が多い現状の学びスタイルでも、
そっちの方がよっぽどいいです。
日舞の稽古が、くちづけで行われなくて本当によかった。
いやマジで唇だって使い過ぎたら減るかもしれないじゃんか(そこじゃない。