色気より食い気。

背中。

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お夕飯(∀ )


気になる人ができたら。

気になる人ができたら、

その人の仕事しているところを見たいと思う。

その人の仕事姿を後ろから垣間見たいと思う。

その人の仕事する背中を、

すこし離れたところから黙ってみていたい。


背中には目や口以上に雄弁な表情があると思う。


書を習っていたとき。

わたしの書の師匠は丁寧できめ細やかな指導をしてくださった。

必ず今月の課題を自らの筆で記して与えてくださって、

そうして書いているわたしの元にやってきて静かに見守ってくれながら。

時折、一緒に筆を取って筆の進む道を示してくださった。


でも、わたしは何よりも師匠がわたしの書を朱で添削してくださる時。

必ず背後に回らせてもらって背中越しに師匠の筆が運ぶのを、

ひたすら見つめている時が自分にとっての最も大きな指導の時間と感じていた。

あるいは提出用か昇段用の大きな作品に取り組む時、

師匠が書かれている時を黙って後ろから見つめていた。

師匠の意志によって生き生きと、まるで命を吹き込まれたように生々しく。

筆が流れていく様と師匠の腕から肩にかけて背中にかけてを、


呼吸するかのように動いているのを。

とにかく見つめては自分の中に取り込もうとした。


そうして師匠が指導を辞めてしまわれるまで、4年か5年くらいの程だったけれど。

師匠の生きた指導を受けられたことは、かけがえのないことで。

どんな立派な手本があっても、

どんなに素晴らしい書を書かれる先生が他にあっても。

師匠に呼吸を合わせるように筆を運んでいた、あの時間には変えようがないし。

その後そこまで傾倒して惚れ込むように思える存在には出会わず、

ずっと筆を持てないでいる。


それぐらい語る背中は言葉以上の表現力があり、

それは自分も愛弟子や妹弟子に背中を見せる仕事をしているから余計に。

強く感じるのかもしれない。


わたしも(日舞の)師匠も舞台上で踊る背中を見ている。

背中が踊っているか踊っていないか、という会話を好くする。

どんなに素敵な支度でも、どんなに美しい舞台化粧でも。

どんなに華やかな踊り姿でも背中を見せた時、

一気にガッカリさせられることがあるから。

人の振り見て我が振り直せで、いつも背中を意識していようと思う。


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3月の主宰の会で撮っていただいたもの、

よくぞ後ろ姿を撮ってくださったなと思い感謝してます。

先の、アイコンに使っていたもの、です。


おまけの夕ご飯。


今日、午後の稽古終えてボスとの夕飯を食べるまで45分くらいしかなかったので。

簡単で勘弁してもらいました。


稽古終わったら、セミドライトマトができあがってました。

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塩豆腐も。

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ぬか漬け、ちょっと漬かり過ぎてました。

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豚冷しゃぶのサラダ、カクテルトマトとアボカドをサウザンドレッシングで和えて。

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塩豆腐にはアスパラと、セミドライトマトを添えて。

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いそいそ作って、せかせか食べて。

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今日も一日長く感じるなぁ、 (*´д`*)〜з。

いずれはレシピ本でも書籍化してやr
高師直。