色気より食い気。

オーラ求めて。

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蕎麦で、お焼き( ・ิω・ิ)。


今日、午後に振替稽古にお見えの愛弟子さんにも訊ねてみたら。

「考える人。」でした、ぉぉやっぱりと膝を打ちました。


見出しが使えるようになったから面白がry


先に「身体で覚える」「頭で覚える」の大きく分けて2パターンあると書きました。
そして頭で考えて踊るタイプも、いますと。

もちろん2人いれば2人、10人いれば十色。
100人いたら、100パターン人それぞれにあるのが当たり前なので。
2つに分けるなんて強引な話なんですけど。
指導者を何年か(なんだかんだと15年とか)やってきた経験で書いてみてます。

頭で考えて踊るタイプは損と書きましたが、
それは自分の経験で踊るジャンルのものを覚える作業では少しマイナス要因かな〜。
だからといって「頭で考えて踊るタイプ=向いてない」と決めつけているわけではないです。
時間がかかる、ということは実体験上否定しません。


オーラの話。

本題です。今回で、まとまりつくかどうかわかりません(ぉぃ。

オーラという言葉で、くくること自体あまり好ましく思っていないんですけど。
舞台人として華があるとか、スター性というのか。
それを「持っている」「持っていない」人の2パターンに分けることが可能。
(人をすべて2パターンに分けているわけではありませんです)

これは、どちらかというと我々が分けるというより。
観客の方たちが舞台の感想の中で、かなりの確率で分けて話をしてくださるのです。
でも当たり前ですが滅多に「華がないね」とは仰られませんです。

「あの人(あの子)はオーラがあるね」

みたいなことをコメントされます。それが、あちこちから寄せられる感想で何人かに集中するのが本当に不思議なことなんですが。
実は、わたし達も見ていて何と無しに分けたりしているのでごめんなさいと謝っておきます(??)。

愛弟子や妹弟子を、(オーラが)「ある」「ない」で分けると。
師匠とも、ピタリ意見が一致し。
他所様が寄せられるコメントとも一致です。申し分なく。

だから何と、いわれたら何て返そうかな。


わが家の場合。

3月末に主宰の会を開催して思わないつもりでも、どこかちょっぴりでも。
会の中心は自分っていう意識が無意識の中にあったりします(しました)

しかしながら、わたしに対するコメントはほぼ皆無です。
立場的に、そういうこと伝えにくいというものもあるのかもしれませんが・・・。
それを差っ引いても、ほんとうに自分に対しての評価は少ない。
少ないっていうか、うすい。

これは今に始まったことではなくて、すでに4度目の会ですが4度ともそうです。
労いの言葉は、たくさんかけていただくんですが。
具体的に舞台を観てくださって、さすがに「悪かったよ」「だめだね」っていう話もダイレクトには聞きませんが。
華があった。スター性ある。オーラがすごい。

なんて誰も言わない。

ところが。
終幕の直前に、ほんの3分だけ花束贈呈されるために登場したうちのボスは。
「さすがにオーラが半端ない」
と皆さんから言われ。

さらに、うちの嬢。

3歳が初舞台なんですが、その時から舞台に立つたんびにもうずーっと「オーラある」「スター性ある」「カリスマ性ある」と。
・・・我が子ながら喜ぶどころか、だんだんどんどん腹立ってきます。

しかし我が子の血のつながりを除いて妹弟子という存在で彼女を見たとき、やはり確かにオーラがあるなと。
思います。ボスのことも、いつも眩しく見てました。

なのでなんで(なのになんで)自分には、オーラがないんだろう。


こればかりは考えても結論は出ない。

オーラについては生まれ持った才能というか個性と受け取ってます。
後付けしようと思っても、できない。
努力で踊りが上達するとか役者だったら芝居が上手くなる、ってことは当たり前にある。
でも持って生まれたスター性は努力では、どうにもなんない。

そして加えていえるのは、スター性だけでは残ってはいけないし。
オーラがなくても生き残っていくことは可能(現に自分がその道でやってる)

そこが人生の妙だと思います。

才能のあるなしが、その道で生きていけるいけないを分けるものではないことに本当救われます。
だから捨てたもんじゃないってこと。

オーラのある人のことは文句なしに、すごいなぁうらやましいなぁとは感じるんですが。
そういう方って、そういうものを持っているが故に努力しない傾向とか雰囲気だけでといこうとする面も否めないと思ってます。

そこをカバーするのが自分なりの工夫とか積み重ねみたいなものかなと。

オーラがないばかりか頭で考えないと踊れないタイプの自分は舞踊家として、かなりハンデが大きいですが。
そんな自分だからこそ見える面があって、それは自分を指導する立場により向けさせる。
なので踊り手の自分より教え手の自分に傾く。

どんな道でも才能は一つに決まらず、かならずその人の持ち味があるはずだから。

それを見つけて生きていくことができる、って信じてます。

生きにくいってこともあるけれど生きていけないってわけじゃないから(と自分を慰めてみました)。


書きたいことがたまたまあったので夕飯の話が、

かなり端折られてしまう(汗)。


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茹で蕎麦の残りで、お焼きを作りました。

なまら旨い、これは皆さんにおススメしたい。

すり鉢でする手間さえ惜しまなければ蕎麦の風味香る、お好み焼きともチヂミとも違う新しい味が手に入ります。

中をいろいろ工夫していきたい。


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玉ねぎを積極的に摂りたい、とボスから所望されて。

新玉ねぎを生で和え物に。

二十日大根の梅酢和えと合わせて、茹でた茎の部分も加えて。


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買い物に行く気がしなかったので残り野菜で、しのぎました。

ヨーグルトマヨに鮭フレークを混ぜて、サラダ。


今日は何か考えたい日でした。

時々、訪れる「哲学する日」←自分で勝手に命名して久しい。


考えること、たまらなく大好きなんです。

タダで、どこまでも楽しめるから得してるって思ってる(笑)。

いずれはレシピ本でも書籍化してやr
高師直。