色気より食い気。

おにぎり3兄弟また。

またもろた(・∀・)


今日は今月2日目の『壮年女性踊りグループ』の団体稽古でした。
来週に続く。

この稽古場は何度か書いてもいるように、
60代後半(限りなく70代)から今年90という齢の女性ばかり6人が月に3回1時間半程度の日本舞踊に親しんでいる場所です。

メンバーの脱会や退会を経て、いまのメンバーになり久しいです。

そのうち、お一人は“監督”と呼ばれていて。
自ら稽古に立たれることはないのですが、お稽古場には来て。
合ってるよ〜
いいよ〜
と客観的に評価(??)してくれる存在。

そして我々が汗を流している間に、お茶飲みの支度をして。
宛行扶持のおやつを用意していれくれます・・・その方が。
入院⇒手術を経て治療中の現在、
誰がひとり来なくても何だかポッカリ穴の開いたような。

さみしい空気が流れるのでした、 (´TωT`)ショボボーン。

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もう10数年も月に3度ずつ踊っているので、いままで稽古した曲は相当数に上り。

かつての曲を復習に使ったり、この会用に振付をした曲で踊ったりと。

あの手この手で回を重ねていますが、

やはり普通は日本舞踊の稽古は個人指導。
マンツーマンが基本になるので、5人とはいえ団体で稽古するにあたっては。

結構、問題点というか工夫しなければならない点が様々出てきます。

たとえば、
60代後半の方と間もなく90歳になる方とでは覚えや動きがかなり違います。

そこを同じ曲を使ってすることの難しさ。

これを2人と3人と、で曲を分けても構わないんですが。
そうすると簡単(だと感じる)な曲のメンバーは、
どうせわたし達は覚えも動きも悪いしと、いじけあんばいになったりとか。

いろいろ、あります。

その時々で今日はちょっと疲れてるから、この曲は休む、と。
ご自分で判断して離脱(休憩)するのは、まったく問題はないんですが。

「○○さん、ちょっと合わないから外れて。」

ってことは一切言えないし言ったことはないです。


そんな中とにかく、そのメンバーで踊る最高の状態に高めたいと思うあまりに。

指導に熱が入り過ぎて、どうしても皆の動きが合いませんと。
懸命に指導したり必死過ぎて、メンバーがついてこれなかったりとか。

そういう経験を沢山して徐々に、この会(仲よし会という)のオリジナルな踊りになれば。
そして曲中のポイントだけ合えば途中がピッタリ合わなくても。

まったく問題ないや、と思えるようになってから。

この会で稽古することに悩みは、なくなりましたよね。


そもそも既存の踊り(振付)がある場合、大抵が伝承ものなので。

これは、こう踊るべき(わたしはこう習った)という大前提があるもので。

それを崩してはいけない、という使命感みたいなものが必ずあるんですけど。

求めても叶わない・・・表現が悪いですが同じようには踊れない・・・

そもそも伝えられた自分ですら師匠と同じには踊れない。
逆にいえば、それが踊り手の個性みたいなものであって。

そういうものがあるから踊る人によって味わいとか魅力が出るのだと思うから。

こう踊らないと、と決めることって何ら無意味そんな気がしています。

もっと厳密にいうと踊る人間によって同じ踊り方でも正確さなど技術的なレベルを追求する場面と。
楽しみや、やりがいを求める場合と。
あれこれ、あってもいいんじゃないかと。

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そんなことを考えると本当に「これ」という決まりめいたものが存在する事柄って、ごくごく少ないんじゃないかと。

こうでなければならないとか、
こうしなければいけないという、

枠というか定めというかなんだ??

答えは一つじゃない、というのか。

うまく書けませんけど、そんなことを思うこのところです。


なので、メンバーから、ここはもっとこういう風に踊りたいみたいなアイディアというか。
そういうのが出るようになって、これって新しいし、これもありだよなぁとフムフムする指導者のわたし。

威厳とか権威とか存在感とか師匠らしさは、どこかにやっちゃったのかしらん(謎)。


自分が教える立場に立っての方が習っていた側より、はるかに学ぶものと得るものが多く。
子に教えられ、って感じです。
うん、まだそんなに老いてはないつもりなんだけど(笑)。


それだけ指導者としても踊り手としても、
まだまだまーだまだ伸びしろがあるってことかな?なんて勝手に解釈してます??w


ラストは本日の宛行扶持画像www

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午後の稽古は開始が14時半です(^ν^)

いずれはレシピ本でも書籍化してやr
高師直。