色気より食い気。

20130418〜祖父の祥月命日〜

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月に2度の精進お膳の日#2(#1は祖母の命日の七日)



禅宗の中の曹洞宗が我が家の宗派。

もちろん、わたしが選んだものではなく。
といっても先祖代々が、この宗門だったかというと。
そうではなくて子どもの頃は祖父母に連れられて別のお寺に、お参りに出掛けていました。

祖父が個人的に今お墓のあるお寺さんの先代のご住職の人柄に惚れ込んで袈裟をいただくまでになり・・・
それで亡くなる前、遺言のようにしていたのかそこに墓を建てて葬ってほしいと。

宗派をかえるには、それはそれの面倒があったようで。
亡くなったときは中学生でしたから、よくは知らずにいますが。
ずっと通っていたお寺さんには、「なんでウチじゃないわけ」的な丁寧なイヤミもいただいたそうで。
(理屈としては通っていると思います、でも故人の遺志なのです。)

母(=ボス)は憤慨してました。

宗派の違いは、ざっとした感じしかわかりませんが。
わたしは祖父の選んだ曹洞宗が我が家の宗派と受け留めて、とてもしっくりきています。


といっても、ものすごく信仰心にあついとかいうわけでもなく。

祖父母は育ての両親だったので(ボスは働きに出、父親は家を出て行った。)、その恩返しというのか。

亡くなった人の口には水の一滴さえ入らない(それ以前に、もう全く存在していない。)とも、いわれたりするんですが。

そういうのは自分が、それをすることで癒されたり和んだり落ち着いたり慰められたりするからしていることで。

具体的な、かたちのあるものではないのだと思います。
気持ちの問題だから、したい人がすればいいし。
することに意味を感じない人は、しなくてもいいし。

亡くなって何年までするか、っていうもの一概には決められないし。

わたしがヨボヨボーで台所に立てなくなったら、それが止め時になるのかもしれないけど。

それまでは(自分が好くて)続けてる気がする。


それが宗教っていうか信仰なのかもしれない。

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ご飯は炊き込みご飯です。

よく「ご飯の量がすごい」とか「盛り方がてんこもり」と、いわれるんですが。

仏さんのご飯って、こんな風に丸く山のように盛りません??

若い頃は、なかなかこれがうまく盛れなくて。
毎日のご飯の器は脚の付いた、もっと小さいのですけど。
これゴルフボールみたいに、まんまるに盛るまで。
何年も、かかったような気がする。

今度、嬢にもさせてみよう。

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おひたしは小松菜のナムル。

お膳の一式は定位置が決まっていて、それも覚えるのに結構かかったと思います。

左上が、おひたしで。右上は煮物なんですが逆に置いたりして。

今でも時々「おひたし・にもの・つけもの・すのもの(あえもの)」って頭の中でブツブツ。

あたしゃ、お婆ちゃんかw

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煮物は昨日のなので温め直しで備えました。

いつも命日の5日くらい前になると、
「次のご命日の煮物、何する??」
ってボスから問われます。

以前は煮物だけはボス担だったけど最近は、ここの人オールになりつつあります。

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漬け物は羽田空港で、ボスがこの時のために購入した高菜のたまり漬け。

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酢の物か和え物なんかが乗るスペースには煮て冷凍しておいた黒豆を。

煮豆のこともあれば寒天を流す時もあります。
夏場は心太が登場します。

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むっちゃ柔らかくて甘い青菜と油揚げの味噌汁。


今月の精進任務も、これで完遂。

来月の七日あたりは祖母の好物だった筍ご飯が登場するか山菜が出てくるかなぁ。



さっき、お墓参りに行ってきたけど冷たい雨でした。

春雨じゃ濡れて行こう、なんて気分にはなれませんでした。

次回は、もっと暖かくなっていることでしょう〜。

いずれはレシピ本でも書籍化してやr
高師直。